2010年4月17日土曜日

剃髪

 
 …(略)
 一年たてど 母死なず
 二年たてども 母死なぬ

 三年たてども 母死なず 四年たてども 母死なぬ
 五年たてども 母死なず 六年たてども 母死なぬ
 十年たちて 船は去り 鉄路消え よもぎは枯れてしまふとも

 千年たてど 母死なず 万年たてど 母死なぬ
 ねんねんころり ねんころり ねんねんころころ みな殺し
 (『寺山修司全歌集』から抜粋)



3月末に、髪の毛を全部剃り落とした。一種の自傷だと言われそうだが、もう十何年も前からやってみたくて仕方がなかった。
自前のバリカンだったが、傍目には簡単そうで、やってみると案外難しいことがわかった。バリカンの操作のこともそうだが、もう一つ「躊躇いの心の壁」があるな、と感じながら、それを潔く超えなければ先に進むことができなかった。

対人関係の厄や邪気は、実は髪の毛に残っている場合が多いらしい。だから散髪することで厄や邪気を祓い落とせるとか。
そこまで深く考えたわけではなく、私の場合は単なる「衝動」なんだけれど、剃髪したせいか、冒頭の寺山修司の歌の心情と一致する、長きに亘って私を苦しめ続けた血縁のしがらみも、相続放棄という形で切り捨てた。

他にも、剃髪はデトックス効果があるらしい。
「10年に1度は髪を剃ります。10年おきくらいに9ヶ月間は、週に2度(日曜と水曜)、髪を剃ることをすすめします。そうすればエネルギー体を浄化し、肉体を癒し、加齢の過程を逆転させることができます。また、若返りの過程を加速させることもできます」

と、そんなわけだが、剃髪してしばらくは鏡に映る自分を、自分だとはっきり認識できていないのか、自分が自分ではないような感覚だった。

更に、ここまで髪を剃らないことには、なかなか気付かないものの見え方というのがある。

花冷えの季節ではまだ坊主頭では寒すぎるので、ヅラ(ウィッグ)をかぶっていた。そこでまず、「ヅラをかぶると温かい」ということに気付く。と同時に「夏場のヅラはつらいだろう」という予測もたつ。

ヅラをかぶって電車に乗ってみると、毛があるつもりで全力疾走でもしようものなら、ヅラがどうにかなってしまう。「ヅラが落ちるんじゃないか」とか「あ、この人、私がヅラだって気付いてるな」とか。
毛があるときには考えもしなかったような気遣いの仕方にかわる。

世界観が揺すぶられる。

そして丸坊主から二週間ほどすると、(私としては「シニード・オコナー的な」と言って欲しいのだが、今流で言えば「ICONIQ的な」)そこそこいいカンジの長さになった。
剃髪は、頭に傷があるとか頭の形にコンプレックスがあると「できない」らしい。
そう言われて、特に何の抵抗も無かった私は幸いだったと思った。

参考:
(※スグできる! 対人関係の厄をスッキリ落とす方法
(※究極のアンチエイジング美容は「スキンヘッド」だった!?
 

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