2010年5月29日土曜日

何を人と共有するか

 
先頃、アクセス解析で逆リンクされた先を辿ると、「日本女は強姦されろ」などと書かれたブログに誘導されてしまった。突然の言葉の暴力に、あろうことか、私は不意打ちを食らってしまった。
知らないブログではなかったので、この逆リンク先のブログ主にこの件で報復したところ、逆リンクを貼ったのはこのブログ主ではなく、どうやらそのブログのサイドバーに設置されたTwitterに、私のブログのURLが流れて、たまたま誰かがそれをクリックして私のブログを訪れて、結果私が「イタズラで逆リンクを貼られた」と「勘違い」したらしかった。
しかし事故とはいえ、誘導された記事が「日本女は強姦されろ」というハナから悪意のある記事では、あちらが冤罪でも、私がキレるのは仕方がない。

そんなわけで、そのブログ主とは実際に面識はなく、ネット上のみでしかやりとりがなかったが、結局「悪意と誤解」を共有することになり、非常に残念な関係性で終わることとなった。いい文章を書く人ではあった。
しかしインターネット上では、共有することがたとえ「思いやりと理解」であっても、危険かもしれない。

元々私は自他共に認める一人上手の勝手連ではあるが、それにしても人とつながるというのは、本当に難しいと、この度の事故でつくづく思った。だからSNSの何がどういいのかもわからない。このブログのコメント欄を自由に解放して、大勢の人とコミュニケーションを取れないのも、そういった事情である。

愛って何だろう。それは「共有する」ことではないかと、私は最近身に染みて思う。…もしかしたらそれは、誰か他の人が既に書き起こして、もう既に使い古されたことかもしれないが。

たくさんの生物とこの地球上でショバを分けあって暮らしている。
たくさんの人々が、同じ空の下にいる。この時間、この風、知らず知らず共有している。
教室を、先生の話を、同じ時間、共有している。
ある人とは金と時間のみを。ある人とは裏切りと憎悪を。
共有部分に何を持ってくるかで、相手との関係性が確立される。

そう考えると、私は何かを人と共有するならば、できるだけ「いいもの」を共有したいと思う。と、そんなシンプルな考えに目覚めるような地点に、今、私はいる。

「いいもの」。それは、どんなものだろう。少しずつ考えてみたい。
 

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