2010年7月1日木曜日

同じ思いを抱いていた

 
以前(昨年)書いた記事。↓

それにしても、世の中、不要な学校とムダな大卒が多過ぎやしないか。

本当に賢い人は必要だが、賢そうにしている人はそんなに要らない。
大学で勉強するのは、奨学金が貰えるくらい勉強に向いた人のみでいいはず。「あんた、大学出たの。へぇ~。親、可哀想だね」と思わずにはいられないような人が、無理に賢いぶらずとも、他は専門学校やセミナー、習い事で自分の好きな勉強をすればいい。
もっといえば、高等学校もいらないのではなかろうか。
この際、高校の数をうんと減らして、大学進学希望者のためには予備校だけあればいいと思う。
「高校出ていない→恥ずかしい」という観念も、この社会から丸ごと消失した方がいい。…(

高校は減らして、公立の職業訓練校を増やす方がよい。
大学進学希望者のために、予備校があればよい。そしてムダないらん大学は無くして、本当に勉強に向いた、奨学金を貰えるレベルの人だけが、大学でしっかり学問を修めればよい。

結局は高校も大学も、ただのブランドなのだ。(

ブランドで「皆と一緒」の体裁で身を固めるためのもので、本分に大した意味はないのではないか。
「子どもにはええべべ着せてやりたい」親心で、ある親は血の滲む思いで、高校や大学の学費や生活費を稼ぎ続けるのである。
子どもらは「皆が行っているから、行っていないと恥ずかしい」と、親にねだる。親も子に恨まれるのが怖い。
しかし今見渡すと、それも限界だという親も子も増えてきている。「皆と一緒」の体裁のランクが、少しずつ下がりはじめている。

ぶっちゃけ、そんなに無理をして行かせるべき無駄な「ブランド」に、税金を投入するなんて、馬鹿げている。



大学は本当に賢い、学問を修めるにふさわしい人間のみを厳選すべきである。
大学を卒業したということが、本当に世の羨望と尊敬の的になるにふさわしいことであったが方がいい。

他はなんでも、自由に学べる機会さえあればいい。

このあたりはこれまで一貫して変わっていない私の考え。
今日は同じクラスの「白い魔女」ことアラフォー主婦()と、上記と同じ思いを抱いていたことがわかった。
道理を考えると、行きつくところは、まぁそんなもんだろう。
ということは、この思いに共感する人々も、まだまだ少なからずいるはずだ。そう思うと「ひとりではない」心強さで、ちと嬉しい。

折角努力して卒業した定時制高校なのに「定時制だから」と蔑んでみられるとか、そんなムダな学歴なら必要なかったと、堕ちていく子らの話を聞くと、さすがの私も胸が苦しくなる。
その若い時分の努力で、何の手応えも無かったやるせなさ、努力の虚しさはいかばかりか。
 

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