2010年7月2日金曜日

スクールウォーズを経て

 
先生は「いのち」について、大勢の人々の前で講演をしなければならなかった。

「何と言えばいいでしょう」

と、朝から考えておられた。
そして先生の語る「いのち」の話をちらと聞いて、私は少し古臭いような気がした。

「先の大戦で懲りたこの国の人々が、平和が大切、戦争はしてはいけない」という、先生が確かだと盲信しているその前提が、今の時代、崩れ去っているのではないか。「平和が大切、戦争はしてはいけない前提」の崩れ去ったか無い人々に向かっての講演であれば、先生の語る「いのち」は伝わりにくいかもしれない。と、エラそうに、私は先生にそう指摘した。

ただ、「いのち」について先生の中には既に確たる答えがあって、公演の事前に誰かの反応を窺いたかっただけだと思う。

やさしい先生である。週1回提出する連絡帳のようなノートに、丁寧にコメントをつけて下さる。()わからないところを尋ねれば、がっつり答えて下さるし、その場で答えられなくても調べて答えて下さる。
この先生の聖観音のようなやさしさは、大人相手のやさしさではない。それまで20年間、思春期の荒れ狂う少年少女たちに向き合ってくる中で身につけてこられたやさしさである。

「あの頃はまだ若くて体力があったから、なんとかやってこれたけれど」…

本当に毎日が闘いだった、と先生は仰る。とてもそんな風には見えない。

私の通う職業訓練校は、数年前に社会人も大勢学ぶ場になったが、それ以前は中学を卒業したばかりの子らが通う学校だった。
当時先生は、生徒に胸倉を掴まれて引きずりまわされることも、人でなしとしか言いようのない、非情な言葉を浴びせられたこともあったとか。
また、いじめの証拠を掴むべく、トイレに篭って待ち伏せをしたことも。いざいじめがはじまったところで、扉を開けて出て行って、現行犯で懲らしめる。身から出たサビというか、言っても聞かない、手の尽くしようのない、酷いやんちゃが禍(わざわい)した生徒もいたのだろう。

「やっぱり自分のやったことって、結局は自分に撥ね返ってくるものだなと、つくづくそう思ったわ」

突くと思い出したように先生の口から怒涛のように勢いよく溢れる、闘いの日々の断片。
 

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