2010年7月19日月曜日

真夏の文学館

 
岡山といえば、横溝正史の『八つ墓村』の世界。
陰鬱な田舎の、強欲と因習と情念としがらみでねちこくへばりついた、あつくるしい古い日本。
因縁とは恐ろしいもので、私の周りには、親のどちらかが岡山出身だという人が多い。同じクラスの「白い魔女」()もそうだし、かくいう私の母方もそう。

岡山に因縁のある者同士が寄り集まって、岡山の話をすると、「岡山女の底意地の悪いがめつさとオドロオドロしさは他に類を見ない」という話になり、「いやいや、信州も負けていない」という話に至ると、これは『犬神家の一族』だ。
かくいう私の母といえば、寺山修司の「…千年たてど 母死なず 万年たてど 母死なぬ ねんねんころり ねんころり ねんねんころころ みな殺し」みたいな人だ。(
物語の中で味わう昭和のワンダーランドぶりには、心躍るものがあるが、これが現実となるととてもじゃない。
岡山。ぼっけぇ、きょうてい。

こう書くと岡山のえげつないイメージだけを垂れ流すことになるので、蛇足ながら、私の岡山の親戚の男系はイケメン揃いである。
東京にいた頃、バイト先で岡山出身の子に出会った。そこで話が盛り上がり、出身地等々問い詰めていくと、彼女の同級生だったという私の従兄弟の名前が飛び出して、驚いた。日本狭いなー、などと思いながら、彼女がどうして私の従兄弟を覚えていたのか。従兄弟がイケメンだったからだ。イケメンだが、自称クリスチャンの怪しげな宗教に、一家まるごとハマり込んで音沙汰は無い。たまに聖書が送りつけられてきたぐらいで。
また、私が生まれる前に死んだジイちゃんと、今は禿げ上がってかつての面影の無い80歳の伯父の若かりし日の写真を見て、そのビフォーアフターの落差に愕然とした。

オダギリジョーだって岡山出身だ。
ま、とにかく岡山にはイケメンが多い、ということにしておこう。

今、なぜ岡山かというと、他でもない。
昨年、私の父が逝ったが、この連休に散骨してきた。岡山の海に。

私が最後に岡山を訪れたのが何年前だったか、ちょっと記憶に無いが、岡山駅の印象が以前とは随分変わっていた。新幹線の駅舎がキレイになっており、これでは岡山駅よりも新神戸駅の方がまだまだ田舎臭い。また、在来線の電車が来るまで時間を潰そうと、改札の中のドトールに入ったら、そこの店員は岡山弁で応対をしない。
JRだけでなく、フェリー乗り場も明るく小ぎれいになっていた。
あれ、岡山。ぼっけぇ、きょうていくないぞ。
なんだろう、地方のこの「そこそこの」熱気。もしかしたら、地方の潜在的な活力がこれから息づいてこようとしているのかと、予感させられた。

さて、NPO法人のつてで所定の海域に父の骨を撒いてきた。
骨を撒き、花びらを散らし、家族で般若心経を唱えたあと、ボートは三回その場を旋回し、お別れの汽笛が一回。ちゃんと余韻を残すような汽笛の鳴らし方を、NPOの人も練習したんだろう。

この儀式を最後に、私は血縁者たちと縁を切ると決めていた。ここで切るも、あの世で切るも同じことだ、と。
ボートから瀬戸内海に浮かぶ小島を眺めて、私は『獄門島』を思い出していた。
 

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