2010年8月5日木曜日

あの頃は

 
高校は地元ではなかったが、閉鎖的な女子クラスだったので、男の友達は地元の中学の同窓生ばかり、三人いた。

淡い恋愛感情のときめきも皆無ではなかったが、基本的に交遊関係は「不純」ではなかった。
皆で集まったり、たまには一対一で、悩み事や夢を語りあったり、たまにトランプやしりとりなど、金のかからない下らない遊びをしたり、時にはただただぼーっと時間を過ごしたりしていた。
そういうことの方が楽しかったので、つき合うだの肉体関係にいたるなどといった方面には頭が働かなかった。
もしもそんなことになったら、この楽しさが崩壊してしまう。そんな思いの方が、皆強かった。

そんな私は、性的に早熟だった人と話をするとき、立っている地平線が違うと感じる。大概、それは向こうもそう思っている。

その三人の男友達とは、もしあと二、三歩踏み込めば「男女」という一触即発のギリギリのライン上を、それとなくドキドキしながら、それでもそんな思いに気付かないよう封じ込めながら、お互いに未熟な十代の青春を楽しんでいたと思う。

思えばあの時のあれらの友達は上質だった。
偶々、その三人は親も本人もしっかりしていたから、そんなニュートラルな、名付けようのない交遊ができたのだろう。
また、私自身も自分が「女」だなどと意識もしていなかった。今思えばむしろ、私にその自覚が無いことを、彼ら三人の方がよく理解してくれていたのだろう。

年を経て、それぞれの事情に引き戻されるようになって、連絡を取ることも無くなったが、彼らはどうしているだろうか。



職業訓練校のクラスメイトの、人生を達観したような15歳の子に、「通学時、夜道は気をつけるんだよ」「ヤリ得みたいなしょーもないバージンキラーに引っかかるな」「仲の良い親兄弟というのは金では買えないよ」などと、オバさんらしい説教をして可愛がりながら、ふと自分が彼女ぐらいの歳の時のことを思い出した。
周りが大人ばかりなので、15歳の彼女はやたら可愛がられているが、馬鹿にされないよう振舞っているのか、やや大人びた感じである。しかし箸が転がったらそれだけで可笑しいかのように、何か言えば彼女はいつも笑っている。

彼女に言わせれば、私は「論理主義者」らしいが、私は「論理」の意味を知らないので、彼女の言うそれは間違っていると思う。
 

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