2010年8月15日日曜日

終戦記念日に今のところ最悪なシナリオを妄想してみる

 
7月3日のNHKニュースより。↓

 伊藤忠 リチウム権益を確保へ

世界的に資源の獲得競争が激しさを増すなか、大手商社の「伊藤忠商事」は、電気自動車の電池などに使う「リチウム」を生産するアメリカ企業からアジアでの販売権を獲得し、日本企業にとっては、これまでで最大規模のリチウム権益の確保となる見通しです。…(


伊藤忠商事は一体、それをどうするのだろう…。
などと思いながらブックマークした。
きっと、地図上から日本が消え去っても、伊藤忠商事の海外在中社員は生き延びるのだろう。おめでとう。商社の仕事は、国土を切り売りし尽くしても銭儲けに労力を費やさねばならない、大変な仕事だ。私には到底できない仕事だ。

テレビも新聞も無いので、私は日々このようにしてニュースを追っている。

また、昨日は「アメリカ国防総省が厳しい財政状況を受けて国防予算を大幅に削減」とかいうニュースもあった。


 国防予算削減 日本に影響か

そのうえでリード氏は、日本国内で在日アメリカ軍の駐留経費の日本側の負担、いわゆる「思いやり予算」を減らすべきだという意見が出ていることについて「予算削減の圧力に直面した場合、日本などほかの国々にさらなる財政負担を求めるのは当然のことだ」と述べ、国防予算の削減を迫られるなか、アメリカ国内では、今後日本に対し、「思いやり予算」の増額を求める声がさらに強まるとの見方を示しました。(


ということはもう、あちらさんは戦争やる気満々なんだね。東アジアで戦争になったら、私は真っ先に、何の、誰の役にも立たずに死にたい。この国が意地でもアメリカへの思いやり予算を拒む国だったら、ちょっとぐらいはお国のために頑張ってあげてもよかった。

そして予定調和なのか、一昨日はそれと並行するように「欧州の極右政党代表団が靖国神社を参拝」()なんてニュースもあり、これを中国が批判しているニュースを昨日、就寝前に拾ったところ。

不平等条約の締結以降、開国した頃にはもう既に日本は呪われていたんだろう。井伊直弼の何がエラいのか、私は理解に苦しむ。

「謝って許されるものではない」ということもある。
残虐な仕打ちをすれば消えることはない。
それを熟知している連中は、「謝る」などということをせず、残虐な仕打ちそのものを正当化したり「無かったこと」として、ポジティブな転化ないし隠滅を図ろうとする。ジェノサイドはその最たるものなんだろう。

東アジアの国々は互いに憎しみを消しさることなく、当然、原爆投下の事実を日本も忘れることがない。

いつまでもいつまでも原爆だの非核だのとを言われて鬱陶しいし、国力も弱まっているから、黙らせるために日本人を撲滅することだって考えるかもしれない。そのためには他の日本に恨みがましい国と結託することもあるだろう。

私自身は別に、これといって特に何かせねばというほどの未練もこの世には無い。
強い憎しみを抱き続けるほどのエネルギーも持ち合わせていない。

ただ、命があって、生きる衝動があるがために生きている。
その私のような生き様を「無駄な命」「無駄な人生」などと、横から命を奪いにくる輩があれば、これに対しては私は末代まで最後の血の一滴まで呪い殺す程度の力があるに過ぎない。
それを面白がって「やってみやがれ」などと、命を奪いにくるならば、「上等やんけ」と受けて立つ程度の力である。そのような鬼畜のビチグソ人間に負ける気はしないが、無駄な時間だと思う。

命のある時間は、かけがえのない、大切なものだ。
生まれ出でた誰もがそのはずだと思うが、それを加味しないウンコな輩も大勢この世界には居て、だ。

嫌だなと思うのは、そのウンコらが、「一度二度被爆したなら三度も同じこと」などと、「唯一の核被爆国」を自称するこの国を、核の実験場ぐらいにしか思わなさそうなところ。
しかしあれ、何で日本が「唯一」なんだろう。カザフスタンやウイグル、他、少なくともチェチェンとか、クラスターだけじゃなくて中性子爆弾か何か使ったんじゃないのか。ご丁寧に、築きあげられたインフラはそのままに、人間だけ殺していくやつ。

そしてまた例えば、私がブログに垂れ流している、こういった何気ない日々のつれづれを情報収集している外国の諜報機関やなんかがあったとして、何の情報収集をするのかは知らないが、このブログのセンシティブな日本語を訳し切れるほどの能力があちらにはあるとは思えない。
「虫が何か蠢いている」(
ぐらいにしか連中は思わんだろう。
そういう者どもから見れば、こちらは害虫や細菌に過ぎないだろうが、私からみれば君たちはビチグソであって、ビチグソなればこそ呪う価値も無い、貴い命のある生物でも何でもないのだよ、とは思っている。
貴いビチグソさま。ご苦労様。おきばりやす。

もしも近い将来、私の身近な周辺で戦争が勃発して、私が被爆して命を奪われたとしよう。
その後私は、その戦争を企んだ張本人の背後にまわって、そいつの観客になってさしあげよう。
そいつの後頭部が凹むほど、じっと眺めていてさしあげよう。
「見守る」んじゃないのよ。そこ、大事。

残虐な仕打ちは消えることはない。永代続く苦しみの元がまた生じるだけ。
 
ビキニチェルノブイリ虐殺ジェノサイド







 

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