2010年8月22日日曜日

『鬼龍院花子の生涯』と『吉原炎上』

 
麻布が若干手に入ったので、これで男性用のふんどしでも作ってみようと、研究がてら五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』と『吉原炎上』のDVDを借りて観た。男性用ふんどしを作るにあたって、その腰紐の幅が悩みどころだった。
『鬼龍院花子』は以前から観たかったので()、ようやくその思いを晴らすことができた。

とどのつまり、『鬼龍院花子の生涯』は「鬼龍院の鬼政はやんちゃでコワモテだけどええオッさん」みたいな話。
どこが「花子の生涯」なのかと、首を傾げるところではある。

こちらは男社会に張り付くように女の生き様が描かれているので、画面が地味ではあるが、それ故にか着物は地味でも夏目雅子や岩下志麻が、一際凛と美しく見える。「素材で勝負する」というのはこういうことだ。

鬼政の家内・歌(岩下志麻)が凄い。
「田辺さん指つめるき、早よ支度しいや」と、顔色ひとつ変えずに男衆に指示を出し、「やめとおせ!やめとおせ!」と泣きながら止めに入る松恵を、ぴしゃりぴしゃりと平手打ちして、「おなごが口出しすることやないき」。
この映画最大の見せ場、松恵の「なめたらいかんぜよ!」も、歌が憑依していたとしか思えない。

しかし『吉原炎上』は、私にはもうひとつな映画だった。ヒロインの若汐花魁と私は種類の違う人間なんだろう。
『鬼龍院花子』の松恵にしても歌にしても、生き様にちゃんと一本筋が通っているのだが、何と言うか、筋の通らんことというのは、傍目に見苦しい。もしかすると「吉原は嘘の世界」だから、筋が通らないものなのかもしれない。

『吉原炎上』は田舎から身売りされてきた娘が、花魁道中で花を咲かせるまでを描いている映画だが、一躍一番花魁になると、大見栄を切って「惚れた男」に金を積んでもらって別れておきながらも、花魁はしつこく最後に「惚れた男と結ばれたい」という「何もかも手に入れたい」業突く張りの腹黒い性根を見せる。そうでないと吉原一の花魁にはなれないのかもしれないが、私の思う美意識とは程遠い生き様に感じらた。

この花魁を理解できない私は、多分、幸せ者なんだろう。

この映画を観ていて、私がかつて出会ったあるキャリアウーマンの言葉を思い出した。

「自分が今まで血の滲む思いで積み重ねてきたキャリアを失うことは死ぬよりも辛い」。

彼女は管理職にまで上りつめながらもパワハラで失脚させられたのだが、その時の思いを彼女はそう語った。
きっとこの彼女であれば、花魁たちの気持ちが痛いほど分かる、などと仰るだろう。

惨めな生き様はさぞかし嫌だろう。
しかしこの「自分が今まで血の滲む思いで積み重ねてきたキャリアを失うことは死ぬよりも辛い」というブサイクな根性が、既得権益に結びついて差別と格差を生む、現在世を脅かし続ける根源なのだ。

実は、今まで何のキャリアも実績も一切無にしながらここまでやってきた私には、彼女のそんな思いは、年寄り臭い馬鹿げた執着にしか感じられなかった。
私は、今「ここにある自分」というだけで、そもそも自信を持つことに大した根拠など要らないと思っている。
 



 

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