2010年8月23日月曜日

一日の終わりに

 
眠る前に消灯した後の、ぼんやりとした暗がりが、好きだ。

私は無宗教だが、敬虔な気持ちになるのが好きで、割とよくお祈りをする。
幼い頃からそうだった。仏壇や墓参りなど抹香臭いのが好きで、信仰の無い家族の中で、時折気味悪がられたものである。
任侠だった父方の曽祖父は、よく神社に神頼みにお参りをする人だったらしい。また母方の祖母は、生涯に二度もお遍路に四国を巡るほど信心深かった。そういう遺伝子が私の中に強く出たのかもしれない。(

実践カバラ―自己探求の旅』という本にあった。
カバラ的に考えれば、「祈り」とは言葉もしくは観念による「力」の統御である。縦横に放出する「力」に一定の方向を与え、その表現形態を与えるのが「祈り」の役割である。どう祈ったらよいか。それは各人で決めればよい。神道であれ、仏教であれ、キリスト教であれ、祈り方に一定の形式がある。自分の信仰に応じて、祈り方も変わってこよう。
もの凄い宗教チャンポン。私は何ちゅう本に親しんでいるのか、と。不謹慎極まりないが、ともかく。この本に出会ったのは「ご縁」に過ぎない。
しかし、祈ることで自分の意識の方向付けができているのは確かだと思う。自分の中身が騒音で満たされてくると、先ずは静かに、空っぽになるのが手っ取り早い。

ところで。
以前、コーランを読んでいたが、コーランの中にハールートとマールートという、漫才コンビのような名前の堕天使が出てくる。近頃は天使だの悪魔だのといった考え方自体に薄気味悪さがつきまとうとはいえ、この下りは私がコーランの中でもお気に入りの個所である。
以下は私が以前したためていたブログ(『うららのうらas-salaam~一日一行読むコーラン』)より。

アッラーは仰る。
「…けしからぬ無信仰のものはスレイマーンではなくて、人々に妖術を教えたり、またその昔バービル(バビロン)でハールートとマールートという二天使が天から授けられたものを教え広めたりした悪魔たちこそ、本当の無信仰者であった。…」

地上で生活すれば天使ですら罪深くなるものかどうか…?

それををためすために、諸天使のうちからこの両名、ハールートとマールートが地上に降りて来たそうだ。
結果、二人は肉欲に捕らわれて、それが元で殺人まで犯す。
その罰として、両名はバビロンに幽閉され、天上に帰ることができず、人々に色々な妖術を教えた。…

その説話は創世記の6章に基づき、ユダヤ教の経典『タムルート』の中に、その名が見出されるそうだ。
しかし、このハールートとマールートの両名が、完全に悪の権化と成り変ったかというと、そうではなく、この天使らの胸の内には、アッラーへの信仰心の火種は点り続けていたようである。

彼らは悪事や妖術を人に伝授する際には、必ず前もって、
「わたしたちは誘惑しているのだぞ。だから、うかうかと乗せられて、無信仰者になるなよ。」
と、警告したと、これはアッラーが証言されている。

そうして、この両名から、悪魔たちは悪事を教わったという。
しかし、この悪魔たちとて、あらかじめアッラーの許し無くして、「誰にも害なすことはできなかった」と、これもアッラーが仰っている。

ハールートとマールートの妖術とは「天から授けられたもの」であり、「人間を堕落させるいろいろの方術」だったという。この術は、両名から悪魔経由で、人々の間に流れ込んだようだ。

「人々はとかく自分たちに害になっても益にならぬことばかり習いたがった」と、コーランにある。
そんなものを買い込んだが最後、来世では何の幸福も授かれないそうだ。

人々が、つまらぬもののために魂を売ってしまったと、人々にはそれがわからなかったと、ここでアッラーは嘆いておられる。
妄想するに、悪魔は従順なそこそこ賢い人間をこそ好むものではなかろうか。私はそこそこも賢くはない。もしも私が悪魔に魂を売りたくとも、悪魔の方で「金にならん」と突き返されそうだ。
悪魔とも縁を持てない、私は幸運な人間なのだろう。

近頃色んなブログを見ていると、総じて人を小バカにした記事を書くのが、最近のブログの流行りのような印象。そういったものをつらつら眺めていると、ネット上は皮肉のマンネリ化とでもいうのか、創造力(と想像力)の閉塞した感を否めない。
よく見ているある人気の経済ブログも、以前はそこそこ面白かったのだが、近頃はまるで悪魔というほど立派でもなく、悪魔というより悪魔に魂を売った人々の群れの中のつまらない一人という程度に思えてきた。
いい大人が中二病()。つまらん世界。つまらん世の中だ。
と嫌気がさしたところで。

このブログも元々自慰ブログのつもりで、他人を責める目的は決して持たないが、本当の気持ちは文章化して自分の思いにケリをつける用途で続けている。そして今、私がこれを記しているのは、ちょっとだけ意識をこれまでと違う方向に逸らしたい、祈りでもある。

やはり私は、自分の中の僅かな聖さですら失うと、泥縄色で幸せを失っていくように思っている。
ハールートとマールートは、元は天使だった。そのことろ思い出したところで、私自身も今一度、見つめ直して悔い改めたいものである。
 

 

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