2010年9月5日日曜日

どこかが壊れている、そんな自分が愛おしい

 
胸を張って生きられる人は、どこかおかしい。
話をしてみると、やっぱりそれは虚勢なのだ。

しかし、常に自信無さげな人もいやらしい。
本来のプライドの高さを隠そうとするのは、「能ある鷹は爪を隠す」の諺が行き渡っているからだろう。
でも、見渡してもそんなに大した人間はいないのに、謙虚ないい人ぶるのもほめられたものではない。

本当に謙虚な人は、プライドの高さを隠すことなく、それでいて傲慢になる自分を抑制し続ける。これまでの私の経験値の中でならそうだった。
しかし、あの抑制し続けられる源泉のモチベーションは一体何なんだろう。

それとは逆に、傲慢さを抑制できない、謙虚でない、鼻持ちならない人も、妬まれたり僻まれたりすることはあるだろうが、言い換えれば他人の心に深い感情体験を生み出している、としたら、他人を苦しめ、悩ませることで知恵を授けられると言えなくはない。

良し悪しというのは、なかなか測りがたい。
自分が「心地良い」と感じる心の地点が「良し」の基準でしかない。しかもその地点は千差万別だから、「良し」に一定の基準があっても、それはただ基準に過ぎない。
それでも社会と関わる限り、この基準の押し付けはある。その中で生じる、激しすぎる感情体験を消化しきれずに苛まれることもしばしば。

本当に、感情は武器になる。使い勝手次第で攻も守りも、自分で勝手に傷つくこともできる。
「感情は武器」。これを私は多分、誰かからどこかで耳にした。誰だったかな。
こんな私でも、日々自分に嘘をついて押し殺す感情がある。
名づけようの無い押し殺した感情が、炸裂することのないように、たまに自分に向き合うのだが。

どこかが壊れている、そんな自分が愛おしい。だから私はダメ人間なのだろう。
 

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