2010年9月26日日曜日

周りがどうでも

 
少し肌寒くなった。あの気が狂うほどの猛暑は何だったんだ、と思う。衣替えをしなければ。
そして今年は厳冬だという噂を聞く。電力会社らが手を揉み、ウホウホ冬の到来を待ち構えているらしい。

今週は尖閣問題で賑わっていたが、二年前のチベット騒乱の折()に、幾度もデモに出掛けたお陰で、日本という国がどういう国なのかを思い知った私である()。だからあの時、この度のようなことは起こりうるとは思っていた。
しかしまさかこの国の政府が、一度ならず二度までも、ダッカ事件でテロに屈したおしりふくだたけおみたいなマネをするとは、これは想定外だった。笑わせてくれる。

二年前のチベットを経て、私がつくづく思ったのは、侵略者に抵抗して追い出すだけの力が無いならば、侵略者に蹂躙されてしまうのは、当然なのである。後で泣こうが喚こうが、奪還しない限りは、淘汰されてしまうのである。

「経済、経済」てバカのひとつ覚えみたいに右へ倣えで我も我もと、今更目の色変えて中国に依存するのを愚の骨頂とは思わない輩どもも大勢いるし、だから来年の今頃は、中国政府に「日本人による高度な自治」を要求しているかも、なんて思ったりもした。

まぁ正直、私にはどうでもいい。周りがどうでもウトロのコリアンのように性懲りも無く生きる。フツーの人の営み、凡夫とは得てしてそういうものだろうから。
そんなことより、私は就職活動をせねばならない。


来年は関東方面に移ることになるだろう。
丁度、10月に東京でプルミエール・ヴィジョン(テキスタイルの国際的な見本市)があるというから、職探しと会社訪問も兼ねて上京して見てこようと、あれこれ会社にコンタクトをとったものの、撃沈して今に至る。…ま、プルミエール・ヴィジョンは毎年あるから、別に今回わざわざ行く必要も無いのだけれど。

「職業訓練校で就学したからには、アパレル関係の仕事に就いてもらいたい」という先生たちの意向を踏まえて、一応私も努力はするが、これは恐らく難しい。仕事に就くことすら難しいかもしれない。最悪、来年は生活保護を受給しているか、そうでないなら餓死している可能性もある。

仕事が無いなら、福祉・介護の方面探せばいい、とか言われるんだろう。もう四年はその方面の仕事をした後だし。あの仕事は制度の方に疲れる。
あれをボランティアでできるぐらい私が裕福な生活をしていれば、悪い仕事ではないんだが、やっていて死にたくなるようなら、当然やっても長続きはしまい。

講談社の『昭和萬葉集・第十八巻(昭和43~44年)』に、

生きてゐる生命かなしくかがやきて六十九歳のザーメンを放つ

ヴッ…
と、えげつない歌があり、その歌の下の註に、

「老人福祉の問題:平均寿命の高齢化にともない老人福祉対策はますます緊急の問題となってきた。…云々。家庭奉仕員(今でいうホームヘルパー)の派遣を必要とする人びとは約二万七千人といわれたが、家庭奉仕員は六千人足らずで、早急に増員を必要とした…、云々。」

などとある。これが40年前の話だから、国策がどれだけ間違ってきていたのかよくわかる。
(※高齢者を支える素晴らしい仕組み 2009年8月5日投稿)

というか、老人問題は国策では解決しないものなのかもしれない。

景気付けに、最後の政治家・赤尾敏の、最後の政見放送を貼っておこう。
国体護持の意味は私にはわからないものの、直球で、魂に響いてくる。

「日本はね、こんなくだらない選挙やったって良くならん。終戦後46年間選挙ばっかりやってるけど、だんだん悪くなるじゃねぇか!…」

 

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