2010年9月30日木曜日

『北の零年』てソフィア・ローレンの『ひまわり』?

 
北の零年』を観た。
この映画の主役はサントラだと思う。BGMに高揚感を煽られていなかったら、つまらんだろう。
脚本のせいか、映画より舞台向きだ、などと思いつつ、しかし後半は馬が主役になるので、劇団四季の昭和の三部作ぐらいのテンションでやらないと、舞台でもやりにくいか、などと思い直す。

しかし酷い。
結局、ゼロ、またゼロの不条理オチ。「ゼロ(零)」の性質こそが混沌とした不条理なものなのだろう(などと、それらしい理屈を、今こしらえてみた)。

「男は口ばかり。力も無いのに我らの国、我らの国と夢のようなことばかり」

しかし「我らの国」とも言わなくなった男たちはまるで宦官のよう。そうして風塵のような信念のために、下らない奴の言うことに従うようになるので、目もあてられない。

信念の無い男に命を懸けてつき従うのは、人生の無駄。とはいえ、口先のもっともらしい信念に、騙されるのも人の性なのだろう。

「労苦を共にした仲間」など、無意味だ。裏切るということは、何も信じていなかったということだ。
そうした裏切りで手に入れた幸せは、幸せにはなりえないものだ。普通の人間の神経であれば、その幸せの中、どこかで自己矛盾からか、罪悪感からか、気が狂うものだろうと私は思う。

裏切り者を寛大に許す志乃さま(吉永小百合)だが、そうすることが相応に邪悪な復讐になると、わかっていたはず。

恨まず、殺生をせず、運命をひたすら受け入れ、命を生かし、与えることで復讐も報復も果たすという、女らしい、ゆかしい、知恵ある生き様ではあるが。
しかし志乃さま、私からすれば、こいつの命は救ってやらない方がいいんじゃないか、と思う場面が二度あった。
一度目はヤバい薬売り(香川照之)を助けたお陰で、後々災いを呼び込んだわけだし、二度目に至っては、アシリカ(豊川悦司)が本分を遂げようとするのを邪魔したことになるようにも思ったり。


それと、アイヌの服がシブかった。
あれ、流行らないかな。誰か作ってないかな。欲しいわ。







 

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