2010年10月11日月曜日

目の前にいる人間を信用しないで生きるのは大変だ。

 
目の前にいる人間を信用しないで生きるのは大変だ。もの凄いエネルギーを浪費しなければならい。

例えば、私が片足が不自由で、何か掴まるところが必要な時、そこに親切に肩を貸そうとしてくれる人がいたとする。
フツーに信用して肩を借りて、「ありがとう」で済めばラッキーだ。
多くの場合、期待する心があるから、まず疑うことなく、信じるところからはじまる。赤ちゃんが母親の乳房に疑いなくしゃぶりつく本能みたいなものが、人間の信頼の起点なのかもしれない。

しかし、目の前のその人は「肩に掴まらせてやった。1000円よこせ」などと言う人かもしれない。掴まろうとした肩を振り切って、片足で立っている私のバランスを崩して倒してしまおうとしている人かもしれない。人間の悪意の被害に遭って、傷ついて、人を信頼する心を失った経験のある人なら、よくわかる話。そうなると、目の前の親切を断って、片足をひきずって、自分一人でどうにかしていく方がマシだと考える。本当は、信じられたら楽なんだけれど。

目の前にいる人間を信用しない生き様とは、そんな風に、痛々しい。
信じなければ、裏切られることも無い。裏切られたのは、自分がその人を信じたからだ。
それがために、本能に逆らってもの凄いエネルギーを浪費しながら生きる、決して幸せとは言えない方の道を選ぶ。

そんな失われた信じる気持ちを回復するものがあるとしたら、何だろう。基本、代替はあり得ても、失ったものを取り戻すことは難しいか、不可能と言ってもいいのかもしれない。だから、今の私には「日にち薬」しか思い浮かばないのだが。

失ったものを取り戻すことは難しいか、不可能。…
秋の黄昏行く窓辺で、ふと神話のオルフェウスの気分になってみる。

オルフェウス…。チャンスはあった。
冥界の坂道で、もしも一瞬、振り返らなければ、愛妻を取り戻すことができたのに。
 

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