2010年10月17日日曜日

私が生きていくために描く夢

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夢を叶えるのに期限を決めろというのは、よく言われる話。
具体的に時間的な区切りを決めて、何かを実現させていけることは幸せなことだ。
私は、三年、五年先の夢を描けるほど安定した暮らしをていない。
これまでも何度か具体的な夢を描いた。
子供を作ろう、家を建てよう…。
夢への具体的な実践も、周囲の状況が変われば、夢にしがみついているわけにはいかない。

それでも、人が生きていくためには、夢を持つことが必要だと思う。
私は現実的な、具体的な夢を、時間を決めて描く生き方には向いていないが、生きている間、自分がどうありたいかと描いている自分の像がある。常に連続してその像に自分自身を近づいていく方向に、意識は向けている。

変わらないのをいいことに、仕事をしているふりをしていられる仕事は、金はたくさん入るし、楽しく生きていけるんだろうけれど、生き様としてブサイクなので、私はそうなるくらいなら、無理に生きていく必要はないと素直に感じている。
自分に嘘をついて状況に合わせて職場に入っても、長続きさせづらい。長続きさせたところで、老人になるまで生きても、年金は破綻しているだろうから、長生きする意味がない。自分の心を健全に、自分の気持ちに嘘をつかずに、時間のある世界を生きる。

Twitterを眺めていると、“色々な会社の批判ばかりする人が多い。失敗すると揚げ足取り。しかし批判だけしている人は自分ではそんな事業やる根性も能力もない。批判は誰にでもできる。批判するならまず自分でやってみる。日本の問題はやらない人が多いこと。…云々”と言っている人がいた。

「やっている人」がそんなにエラいのか?と思う。

「やっている人」がやっていらっしゃる社会の足元の構造自体に問題があるからやらない(やれない)ということもある。「やっているからエラい」とは私は思わない。

自分が踏みつけた罪の無い人々の屍骸の上で、ルンラルンラ♪楽しくダンスして、足元の屍骸に感謝して図々しくのさばるなんて、ブサイクで、私には到底できない。
「やっているからエラい」人々が、仲良しグループでつるんで、足元の屍骸に気づこうとせずに、狂ったプラス思考でいらっしゃる、その足元にきづかせてさしあげようと提案をせざるを得ないだけの話。

どうせ、この膨張する人殺しのグローバルな経済社会「だけ」が、社会と呼ばれるようなところで、誰が何をやってもエラいなどということはないとは思うが。


近くの図書館に『世界を救う13人のおばあちゃんの言葉』という本を何気に紐解いて、今の自分の気持ちにしっくりきたのでメモしておく。

「背伸びをするのではなく、自分が知っている範囲を認めることが肝心です。等身大以上の自分になろうとすると、たいていの場合、本当に欲しいものが目の前にあってもそれに気づきません」

「誰もがこの地球は自分のものだと思っているけど、ここにあるものはすべてみんなで使うべきもの。誰のものでもない、みんなで分かち合うべきものよ」

「受け入れることを学び、手放すことを学んだとき、人は本当に人になるのだよ」

恐怖や孤独感や生存競争に基づいた選択を行うのではなく、個人的にも世界的にも、癒しや成長、意識の拡張といった建設的な選択を行うようにすべきです。

地球は、私たちに十分な食べ物と十分な水、そして植物と美しい動物たちと、多くのすばらしい人々を与えてくれました。貪欲な人々が蔓延することを食い止めることができれば、誰も貧困に苦しまなくて済むようになります。そうなれば、誰もがすでに豊かであることに気づくでしょう。

法律をつくっても、テクノロジーを進化させても、変化は生み出せない。私たち1人ひとりが、地球と、そして私たちが住んでいる地域とより深く、より密接につながり、交流していくことが必要なのです。

私たちは、自らの行為が招く最悪の結果から自分たちを守っていかねばなりません。


とにかく、私自身を悔いの無いように、生ききりたい。
 

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