2010年11月3日水曜日

一年経って、どう考えても高校無償化はムダ銭

 
関連記事(2010年7月1日)

クラスメイトに15歳の少女がいる()。彼女に訊いた。

「もしも高校に進学して、同じ歳の子に囲まれて勉強するのと、今の職業訓練校のように、色んな年齢の人に囲まれて勉強するのと、どっちがいい?」

彼女はもちろんのこと、「今の方がいい」と答えた。
また、塗装科の同じく15歳の少女にも、同じ質問をして、同様の答えを貰った。

中卒でこういうところに来る子の多くが、家庭に経済的な何らかの事情を抱えている。また、高校無償化が実現したとはいえ、学校の「無意味さ」を悟ってしまっている子も、こうした道を選ぶ。
安易で空っぽな「ブランド志向」()に流されるより、私にはこちらの方が健全な気がする。
いくらタダになったからと高等学校に行っても、「ウザい、ウザい」を連発しつつ、馴れ合いの輪の中からはみ出ないように、愛情乞食に成り下がっていつまでも「淋しい、淋しい」と、下らない付き合いを覚えて繰り返すのが関の山。ということもよくある。
高校を出て、更には大学を出ても、危機感の無い連中の狂ったプラス思考は、本当に学問を修めた脳みそなのかと、心底疑わざるを得ないこともしょっちゅうある。当然そういう連中は若者とは限らない。

15歳といえば、私が20歳で産んだ娘の年齢。私は実際には産んではいないが、しかし、娘を見るような眼差しで彼女らを見ることがある。他のクラスメイトたちも、若い彼女らを大事に見守っている。

こうした色んな世代の人たち、色んな事情を持つ人たちとの交流ができる学校であった方が、今世間で取り沙汰されている、世代間の格差で意志の疎通ができない、若い人をどのように指導していいかわからない上司や教員、などといった問題点の解消になると思う。

また、今の時代はかつて学んだことが陳腐化する速度がはやいので、学校を出ても、いつまでも勉強を続けていかなければならない。かつてのように、ただ大学を卒業するだけで胡坐をかいてのさばっているわけにはいかない。あらゆる年齢の人に学ぶ機会が無いなら、そりゃ人心の荒廃も著しいだろうさ。

私のクラスメイトの15歳は、既に訓練終了後の就業先も決まっている。彼女は高級紳士服の縫製工になる。彼女は将来、モーニング、テールコート、タキシード、ダークスーツ…等々、男ですら着方のわからない紳士服のパーツや工程に精通し、製品の良し悪しの目効きになるだろう。
また、もしも将来日本が亡国と成り果てても、生半可な縫製工ではない、高級紳士服の仕立てができるようになった彼女は、他所の国でも腕を買われ、国境を越え、生き延びることができるだろう。

果たして、高等学校は必要なのだろうか。
陳腐化した公立の高等学校は、もはや不要ではないか。
授業料を払えるお金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんだけがステータスと見てくれために高等学校に行くべきで、大学は、本当に優秀な人材だけを選抜すべきではないか。そしてそういった人材にこそ、国として奨学金を適用すべきではないか。
大勢の大人たちが「常識」だと妄言して疑わない、基盤となる価値観の陳腐化に、気づく必要があると、私は思う。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿