2010年11月21日日曜日

『さまよう刃』

 
東野圭吾原作のこの映画。

確か昨年、警察署の掲示板でこの映画のポスターを見かけて、ふと『半落ち』を思い出して、面白そうだな、と思って覚えていた映画なのだが、期待した『半落ち』のように登場人物の微細な心理描写を特徴としている映画ではなく、終始憂鬱な映画だった。素人無修正の裏ビデオやなんかが好きな変態は、作中のビデオで少女が強姦されるシーンの録画がちらっと観られて嬉しいかもしれないが、私はそういう「楽しみ方」はできない。

この国って、こういう国なんだ、としみじみ痛感するオチ。臭いのでフタをしてしまったあたりには、法や制度が全く機能しない。

この映画のポスターが警察署の掲示板に貼ってあったのは、刑事も人間なんだ、という、ささやかな意思表示だったのかもしれない。

もしも、例えば、

「大きくなったら何になる?」
「おとーさんのおよめさん」

と、幼い頃になついていた娘が、自分の目の前でバカ男に面白半分に輪姦されて殺害されたら、どうだろう。と、私は理性ある大人の男性に問いたい。バカ男への殺意どころでは済まないに違いない。殺しても八つ裂きにしても足りないだろう。

しかも陵辱されて殺害された娘は、穢れないふつうの中学生。肉便器ではない。
妻は夭折しており、この娘を失ったら、何も残らない父親。

しかもかけがえの無い宝である娘を、ただの肉の塊として扱った鬼畜のバカ男は未成年なので、極刑を科せられない。

父親なら殺るだろう、ふつう。殺れ。観ながら素直にそう感じた。
しかし、後ろからただ刺すだけでは、甘い。バカ男のチンポを切り刻んで、生殺しのまま放置するぐらいしないと。

「あなたに罪を重ねて欲しくない。これ以上悪を連鎖させてはいけない」

なんてセリフは、誰もが言っていいセリフではない。誰もがステレオタイプにこういうことを口ずさむと、それは単なるキレイ事で、言葉に効力は無くなるだろう。
娘を失って何も残らないこの父親一人に、更に「悪の連鎖を断ち切る」などという重荷を背負わせるとしたら、あまりにも残酷過ぎる。

私が裁判員なら、被告に死刑を望むこともある。
死刑の判決を一般人に出させるなんてと言うが、人の苦しみにも命にも、一切無関心で無理解で無責任な「一般人」こそが、最も罪だといえるかもしれないと、私は思う。
凶悪な犯罪については、「一般人」が、最もおぞましいものから目をそらし、臭いものにフタをし、何も感じずにヘラヘラ笑って悪を増長させているのが根本の原因ではないか、と思うことがよくある。
だから「一般人」にとっては理不尽だと感じられても、この理不尽を受け止めて、あれこれ模索しながら、「一般人」を司法に関わらせる制度は続けていくべきだと、私は思う。

裁判員に選ばれたお陰で、これまで楽しめたものが全く楽しめなくなるほど、鬱になった。それでいいんだ。それでふつうだ。これまで楽しんでいたものの正体が、一体何だったのかにまで、この際目覚めた方がいい。


 

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