2010年11月25日木曜日

『近代下層民衆生活誌Ⅰ貧民街』~浮浪者の実情

 
昨今、貧困の可視化の必要性を説く人に、私は共感する。

そんなわけで、昭和3年発刊の『近代下層民衆生活誌Ⅰ貧民街』という、当時の東京市の役所の人が書いた本を、借りて読んでいるのだが、80年前の日本が今の時代とそこはかとなくダブる。色々「進歩」した、便利になったと言われる世の中の、変わらぬ営みがあるのだなと思う。

これを記した草間八十雄という人は、フタをされた臭いものに、果敢に飛び込んでいったお役人だったようだ。今の時代の役所の人に、こんな人がいるだろうか、いないだろうか。

“かうして悲しむべき又憐れむべき境涯に漂ふ浮浪者は、いかなる収入行為によって日常生活を営んでゐるかと言へば、或者は他人から金銭物品の施しをうけ、或者は眞面目に勞働に就くのであるが、然しかくまで落ちぶれる者は、概ね体力が弱く人並みの勞働能力のない輩であるから、…

…従つて働く仕事の種類も廣告のビラ配りとか、活動冩眞の廣告行燈を負って歩く人夫に使用される位なもので、かうした仕事に就ても一日の賃錢は九拾錢が止りである。

…然も此廣告配りの人夫は、比較的使用數即ち傭はれる人數は少ないのに、それを望む求職者が多いので、一ヶ月仕事に就く日は拾二三日位である。故に月の収入は拾圓から拾二圓にすぎない。つまりいかに働いても人並の生活が出来ないのも無理がないのである。…”

浮浪者の出生地は村出身が多い。
“之は何事を語るものであらうか。”

浮浪者にも階級があったらしい。
“新参の野宿者はその頭の指図をうけて寝場所を定められる。それであるから、新参ものは入口とか濡れゴミの上に寝させられる。古参者は乾いたゴミの上であるとか、風の吹き通さない割合に寝心のよい場所に宿るのである。…”

乞食が「ケンタ」「ツブ」「ヒロイ」などと分類されていた。「ケンタ」は定まった場所に出て現金を貰う、乞食の中でも上位の乞食。そして乞食の中で手腕のある人物は乞食頭になる。長年の乞食は勢力化して、他の輩は乞食頭の配下に付かねばならなかった。云々。

「ツブ」は「ケンタ」のように群れない。出没場所も定まらない、流しの乞食。「ケンタ」がキャッシュを好むのに大して、「ツブ」は現金でも残飯でも何でも貰う、自主独立型。「ヒロイ」は落ちているものや捨ててあるものを拾う。「ヒロイ」の記述が、あれだ。

“此「ヒロイ」は惨憺極まる生活状態にあるので、此種の乞食の多くは、低脳又は精神異常者であるから、乞食の中の最劣等者である。”
“元々「ケンタ」に加はることが出来ない、又ツブにもなれないものは人の情けに縋り道行く人から惠みを受くるには叩頭平身は言ふまでもなく、いかにも哀れぽい文句を並べ同情を惹かねば思ふように貰へない。即ち乞食と言つても、知能の働きがなければ、所得は少ないのである。…
…然るに低脳であつては、智能が鈍いので人の哀れを引く動作が出来ない。”
“乞食の生活は団体的であり、仲間づきあいによらねばならぬ。”
 

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