2010年12月8日水曜日

懐かしい痛み

 
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学校に行くと、クラスの騒々しさに、しくしくと胃が痛む。懐かしい痛みだ。
高校生の頃は、日々胃が痛かった。大人になって、一度胃痙攣で倒れて以後、さほど胃の痛みに苦しむことも無かったが、学校の風景が、この痛みを思い出させるのだろう。

雑音騒音に、ぐちゃぐちゃに自分の波長をかき乱されて、吐き気がする。それも3月までの辛抱だ。
この訓練を修了すると、縫製技能検定を受験する資格が得られる。

周りの子らは新しいミシンを買って、色々つくりはじめている。春にダンナと一緒に暮らせるようになるまで、ミシンのグレードを上げられない私は、焦りから気が滅入る。
たとえばふんどしの腰紐を縫うとしても、どうしても私が今使っている家庭用ミシンでは、限界なのだ。

わずかばかり父が遺してくれたお金があり、それを次の引っ越しと、新しいミシンを購入する資金として役立てるために、今は使わずにとってある。

胃が痛む。
騒音の傍らで、今は三島由紀夫の『絹と明察』に没頭していると、落ち着く。
ドメスティックさと時代背景が、共時性というか、まさに今の私の的を得ており、今の私が読むからこそ面白いと思える物語。
三島由紀夫は、イメージ的に「ねとねと」「ぬとぬと」「ぎらぎら」「ぎたぎた」という感じがあって、「生理的に受け付けない」と思っていたが、生理的に受け付けないものも含めて、清濁併せ呑める、私も大人になったのだろう。

私が『絹と明察』について、就職相談担当の「俺の東レ」の先生()を訪ねると、物語の主な舞台でもある近江八景の名所の所在について教えてくださった上、高橋和巳の『我が心は石にあらず』を薦めて下さった。
高橋和巳は『邪宗門』を以前読もうとして、母子相姦の下りがエグかったので、そのまま先へ進めなかった。あの頃はまだ、私も子どもだった。

そうして、『絹と明察』に登場する“翻訳物の小説をやたらに読み、都合が悪くなると修道院へ入ってしまうむかしの女主人公に憧れて”いる、菊乃という芸子あがりの年増が、やたら自分自身とシンクロする。実際、今では笑い話だけれど、私は二十歳の時、出家しようと本当に寺の門を叩いたことがある。

自分自身を例にとっても思う。文学少女もしくは腐女子などは、石原都知事等、公的なものがどれだけ迫害しようと、殺しても死なない、というか残念ながら不滅なのだと思う。
 

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