2010年12月9日木曜日

席を替わってあげた

 
席替えをして、せっかく窓際の後ろの席に移ったが、「替わって欲しい」と、おどおどと笑顔で言われて、替わってあげて、廊下側の壁際の席に移動した。
替わったあとに「すいません、すいません」と低姿勢で、申し訳なさそうに言われたが、私が席を譲ったその子に申し訳ないような思いは、恐らくみじんも無く、そういうポーズを繰り返す。

なぜなら、本当に申し訳ないなら、席を替わって欲しいなどとはハナから言わないはずだから。これは下手に出るポーズで要求が通るという典型的な例。彼女はこれを処世の術として、ここまで生きてきた。この先もきっとそうだろう。

そして席を替わった翌日、昨日とは別の子から、昨日替わったばかりのその席を、更に「替わって」と、お願いされて、今度は「いや」と、私は言ってみた。


毎月1回、くじ引きで席替えをする。
そうすることで、狭い範囲で固定せず、色々な人を理解するきっかけになる、という提案が、はじめの頃にあった。とはいえ、目が悪いとか座高が高い、暑い、寒いなど、理由があって席をトレードすることはできる。

しかし、もう8ヶ月ほどそれを繰り返して、結局は排他的な「なかよしグループ」が固定されて、固定されると動かなくなる塊が出てくる、ということがよく分かってきた。

親和しやすいものが解け合って融合するカンジ。

私はくじを引いても、偶然ずっと「窓際」「壁際」「隅っこ」の席だったので、左右どちらかが壁になっている状況と親和している。


さて、この度、私が「いや」と意思表示をしているにも関わらず、昨日替わったばかりの席を、笑顔でおねだりをしてくる、この子は、壁以外は別に誰の傍でも構わない私とは違い、私を壁から引き離してまで「仲良し」の傍に行きたいのである。

「笑顔至上主義」とでもいうのか、笑顔であれば何でも許されるという「常識」が「社会」でまかり通っているように思う。
この「常識」が通用する「社会」なので、自分に都合のいいものを略奪するための、笑顔は戦略上の道具になる。中には、戦略上の道具以外の笑顔を持ち合わせていないような輩も大勢いる。そういった連中は、研修などで訓練され、調教され、笑顔の本当の意味すら、会社や上司など、他人の手によってすり替えられてしまったのだろう。文字通り「悪魔に魂を売る」とは、こういうことだと、私は社会の笑顔の風景を眺めて、しみじみ思う。

ここで、笑顔でおねだりをする彼女に対して、あくまで私が頑として「いや」と言い続けたなら、私はクラスで腫れ物のように扱われることになるだろう。なぜならその後、私に対する陰口が、誇張されて蔓延するようになるだろうから。

ただ、私がこの席を譲ると、私は心落ち着く「壁際」から離れることになってしまう。

自分さえ良ければいい社会は、居心地が悪い。
実は私は、いい大人でこういった公平性を欠く行動に平気な人が、とても苦手なのだ。これを愛せるほどのマゾ気が、私にはどうやら無い。

笑顔の彼女には、そうまでして自分の欲しいものを手に入れた代償に、その席は多少居心地の悪いものであって欲しいと、私は「いやだと最初に言っているのに、彼女がワガママだから、穏便に済ませるために仕方なく替わってあげた」雰囲気を、それとなく醸し出して、被害者に転じた。

その後彼女がそれとなく、私の下手に出る様が、何気に哀れだったが、元は彼女のワガママが発端だから、致し方がない。
 

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