2011年1月4日火曜日

グロテスクな変容

 
本は、本の方から「読んでくれ」と、私のところにやってくる。
絹と明察』は、Twitterに流れているのを見て、興味を持って、手に取った。
この小説は、三島由紀夫が「昭和29年にはじまる近江絹糸のいわゆる“人権スト”に取材し、昭和39年に発表」ということで、今、正に『女工哀史』を興味を持って読んだりしている私に「読んでくれ」と、本の方からやってきたとしか思えない奇遇。

その時Twitterに流れていたのは、
三島由紀夫「絹と明察」は、右翼にとっては面白くないし、左翼にとっても労働運動の恥部をえぐりとっているので、無視したのだろう。書かれたのは60年代前半で、労働運動の全盛期。よく書いたものだ。いまなら周知の事実の社会党右派の堕落ぶりが、ちゃんと書かれている。

ということで、生まれてはじめて「生理的に受け付けない」と思っていた三島由紀夫の作品を手に取ることになった。
三島由紀夫は天才すぎて、時々何を言っているのか、わからない。私が三島ほどに研ぎ澄まされず、愚鈍な感性だということか、もしくは、三島ほどの天才になると、人間にありもしない微細な感性を捏造(あるいは創造)してしまうのか。

しかし微細で、面白い箇所がいくつもあったが、通読し終わってふと、とりとめもなく法蔵菩薩のことを思い出した。
四十八の請願を立て、この請願が成就しないなら仏にならないと言った菩薩だったが、もしかすると「仏の残酷な実態」を知ったからこそ、かの菩薩は途方も無い請願を立てたのかもしれない、と。

この小説の中に「グロテスクな変容」という言葉が度々登場する。
「知らぬが仏」の文字通り、この物語の駒沢紡績の社長がありがたい仏のようにしていられたのは、従業員のことを「何も」知らなかったからだ。
『蟹工船』の浅川のように露骨な悪人ではない、いわゆる、従業員の目線を知らない、残酷な紡績会社の社長。

神仏が、子を育て育む親が、輝く太陽が、完全無欠だと思われたものが、グロテスクな実態を内包している。このグロテスクな実態を「知らない」「気づけない」ことで、「吐き気をもよおす」ような偽善が生まれるのだと、その微細な描かれ方が見事だった。グロテスクに変容する境目を際立たせて、グロテスクの輪郭を見せつけることに終始したような。
また、この「グロテスクな変容」ということ、精神的に成熟できた大人でなければ、身に沁みて理解するのは難しいのではないか。グロさに耐えられず、己のグロさを棚に上げて、幼稚園のお遊戯の中に留まろうとする大人は多いのだ。
…私ももう5年、無邪気にブログを続けてこれたのも、ブラウザの向こう側にいる人のことを「知らない」からだ。きっとこちら側にも向こう側にも、お互い想像もできないようなグロテスクな実態があるのだろう。


この『絹と明察』の縁で、高橋和巳の『我が心は石にあらず』も、本の方から「読んでくれ」と、私のところにやってきた。(
遅読なので、休みの間に読み終わるのは無理だ。

しかし、この『我が心は石にあらず』が私のとこにやってきた理由と思しき、冒頭の箇所を引用しておく。


私がある<観念>のゆえに、少青年期の<脱出>の夢を諦めてこの都市に帰ってきたころには、近代的な大企業の中にすら、満足な組合というものはなかった。現在では、少なくとも大企業の従業員は、会社に就職すれば自動的に加盟するものとして、つまり既にあるものとして組合を意識しており、ホワイト・カラーたちは義務的に廻ってくる組合の役員職から何とかして逃げまわろうと腐心している。役員選出は組合員の無記名投票による選挙制のはずだが、国鉄や炭労など、民同や共産党の勢力が拮抗していて執行委員の席を奪い合う、よくもあしくも活動的な組合、あるいは会社幹部になるための既定のコースとして組合役員職のキャリアがものをいう完全な御用組合を除いて、大部分の会社では役職員はほとんど押しつけである。押しつけられたものは断りきれぬままに嫌々それを引き受け、実務の一切は組合費によって雇われる専従員にまかせきりにする。専従員にまかせきりにするために、各企業の現実に即した身近な問題はとりあげられず、大部分の組合員は観念的には組合組織の必要と意義を理解しながら、心の底では不信と隔絶感を感じている。組合ニュースに掲げられる矯激な檄文と大会にもちこまれる白紙委任状の山、その皮肉な対照が、もはやつぶれる心配のない安心感の上に半ば儀式化している組合運動の現状を象徴している。だが組合ははじめから、この日本に存在したものではなく、おおむねの組合が今あるような形であったわけではない。敗戦後の虚脱の中では、人々は組合というものがどういうものなのかすら、ほとんど知ってはいなかったのだ。進駐軍の労働組合助成方針も手伝って、形だけの組合結成は戦後、燎原の火のように全国に拡まったが、部課長クラスがすべて組合員だったり、生産管理を声高く要求するかと思うと、組合員の家族の食料を確保するため、藷の買出しや買いだめを会社に懇願するといった状態だったのである。

昭和39~41年、雑誌に連載された小説だそうだが、で、その頃と今と、何がどう変わったであろう。
変わらないのが人間。それで納得して年老いてしまっては、いかんのではないだろうかと思うのは、私だけなのだろうか。
 

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