2011年1月19日水曜日

一万円札は欲しくない

 
この年末、東京駅周辺をふらふらしていると、古い建物の前に立つ警備員と、うっかり目が合った。
その建物とは旧造幣局で、現在貨幣博物館になっている。
目があったついで、私はこの貨幣博物館に立ち寄ることにした。入館無料だったからである。お陰で思いも寄らず、金にまつわる雑学が身についた。たぶんここの冊子を熟読して理解すれば、ファイナンシャルプランナーなどの資格が取れるのではないか。

しかしなぜ、この国の多くが違和感なく諭吉を愛するのか。一万円札にふさわしいのは諭吉なんかよりも他にいるだろうに、なぜ諭吉なのか。たとえば嘉納治五郎の方が諭吉よりも世界で通じるだろうに、ところが当の日本人の方が嘉納治五郎を知らない。
実際、お札の肖像なんて誰だかわからなくてもけっこうみんな平気だ。新渡戸稲造なんか、何の人だか、名前すら答えられる人の方が少ない。
しかし、諭吉はみなこれを見て「諭吉」だと言える。一万円の人だから。諭吉が何をやった人なのか、よく知る人の方がこれまた少ない。

ただ、私は生理的に諭吉が嫌いだ。納得がいかない。だからたとえ偽造防止技術がどれほど優れているとしても、一万円札は欲しくないし持ちたくない。

お札にすべき日本人(2007年9月14日)

今後は500円玉を集めようと思うが、古い500円玉は「五百円白銅貨」と呼ばれ、銅75%ニッケル25%を含有しているらしい。現在発行されている500円玉は「五百円ニッケル黄銅貨」と呼ばれ、銅72%亜鉛20%ニッケル8%ということで、どちらの方が価値があるのだろう。
ちなみに、現在発行中の50円玉は「五十円白銅貨」と呼ばれ、銅75%ニッケル25%を含有している。同じ含有率の古い500円玉が重量7.2㌘で、50円玉の方は4㌘。

…もしかすると、50円玉をたくさん集めた方が、実はおトクなのだろうか。
 

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