2011年1月25日火曜日

笑えないものを笑えないと、私は感情に素直でいられることの方が、健康的だと思う。

 
言うなれば、“「日本人として」のメンタリティーがくすぐられた瞬間”に、私は私の中に私自身の“民族意識”を見出すことがあるわけだ。
これが妙な方向に肥大すると、愛国だ戦争だとややこしくなるのだろうかな、などと思ったりする。
(※私の中の“民族意識”の源 2007年7月29日)

先頃のBBCの性質の悪い「二重被爆」のジョーク()のことで。
あの悪質な冗談に対する日本の反応で、「反応して火病るのはどこかの国の人みたい」とか、「笑って無視する」などと、日本人の中におよそ本当に冗談がどういうものであるかがわかっていない人が多いのに、別に驚きはしなかったが、うんざりした。
ご立派ないい大人たちが、要するに深く関わるのが面倒臭いのだろう。それが大事なことであっても、知らぬ存ぜぬで、何も知らないいい子ちゃんでいようと、臭いものにフタをするのが、いわば日本の国民性なのだと私は理解している。
しかし、わざわざ大勢の人目につくようなところにブログの文章を垂れ流している、責任ある「いい大人たち」に、私はTwitterで以下のように反応した。

笑えない話を「冗談」で片付けることがゆとりではない。
怒るべきところで怒ることもできず、相手に合わせて「笑いで返してあげる」って、感情表現のできない魂から不自由な奴隷だぞ。そっちの方がカッコ悪かろう。(

では「笑わないで下さい」とは言わないから、あのジョークで傷つく人がいるということも、ちょっと真摯に考えて範疇に入れてください。
この際だから、何度でもあの被爆された方を世界一不運だと、100回、1000回、繰り返してネタにして笑えば、多少は学習するかもしれません。
それでも鬼畜なアホだと、魂の痛みがわからないかもしれない。
いっそ、ロンドンに核が落ちれば目が覚める人も多少出てくるかもしれませんが。

あれを笑える類の人は、深い感情体験が希薄なのだと思います。
私がこう書いても「?」だとしたら、やはり感情体験が希薄な方です。

理不尽に他人を傷つけてのさばることを良しとする人間も、この世にはいるのでしょうが、反面傷つけられてしまう人もいると、その程度のことはある程度大人ならば理解できるでしょう。

私はあの冗談を許しません。許してはならないことを、私は許しません。
わざわざ大勢の人の前に、「笑って適当に無視して過ごす」程度の文章を晒す愚鈍な無神経を、哂って差し上げましょう。
こういったことが素晴らしいご冗談なのですね。素晴らしいものなので、なかなか私には理解が及びません。(

原爆や核の恐ろしさについて無知な人々に対して、「怒る」から「恕す」までの間の過程の感情体験が抜けたまま、「怒らないで笑って済ます」などという空っぽな装いだけを良しとしていると、問題の原因も解決の糸口も放置したままになる。
怒りは、魂に傷がある証拠だと思う。傷つけられたのだという事実が明確に認識できることで、はじめて怒りは癒されるきっかけを得ると思う。
怒りは確かに毒だろうが、私は怒りを否定しない。怒るべきところでは怒りのポーズをしっかりとる。

私は本当に、それまで好きだったUKロックを捨てた。ビートルズ、STING、フィル・コリンズ…諸々。
この不快な出来事を、なぁなぁでだらだら風化させるのではなく、愛したUKロックを葬り去るぐらいやって、記憶に刻み付けることで、私の本当に反抗的な魂が生きてくる。

昨今、宗教的なまでに奇妙な笑顔崇拝が浸透している。
健康でいたいがためか、笑いどころではないところで失礼な作り笑いをする手合いが、あまりに多い。
いくら笑うことが健康的だとしても、性質の悪い笑いまでが健康的だとは、私には思えない。
笑えないものを笑えないと、私は感情に素直でいられることの方が健康的だと思う。
 

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