2011年1月9日日曜日

アニメやマンガで国や地域をもりあげることについて私が思うこと

 
私は若い頃、漫画家を志して断念した。(
断念してからは漫画を見るのが辛くて、殆ど漫画を読まなくなった。もう近頃流行りの漫画の話にはついていけない。アニメに対しても同様だが、もとよりまだ漫画よりも思い入れが少なかった。

アニメで町おこしということに関して、その元となるアニメのニワカなファンでは、これは意味が無いと私は考える。
皆が盛り上がっているから、なんか流行っているから、私はそんな理由で便乗したくない。本当に自分がそれが好きでないなら、それを語る資格など、全く無い。「COOL JAPAN」と銘打っても、これがニワカの仕事だとすると、なにがクールなのかと思う。

ところで、年末12月29日の産経ニュース↓より、今私が遠まきに見て思ったことをいくつか。
漫画やアニメの性描写規制を強化する東京都青少年健全育成条例改正に抗議するなどとして、来年の「東京国際アニメフェア」(実行委員長・石原慎太郎都知事)への参加を中止した角川書店などアニメ関連の8社は28日、フェアと同時期に、独自のイベントを開催すると発表した。イベント名は「アニメ コンテンツ エキスポ」。幕張メッセで来年3月26、27日の土日に実施する。フェアは同3月24~27日、東京ビッグサイトで開催される予定。

そもそも私がかつて漫画家になることを断念した経緯に、少女マンガのエロさについていけなかったということが、部分としてあった。

そんな私は東京都青少年健全育成条例に関して、現在都民ではないものの、思うに。
真っ当な性的情報を持たない子どもの初交年齢の低さと、それを容認するバカ親の多さを見ると、何の規制もなされないことの方が理不尽ではないかと。だから「表現の自由」の下に劣悪化していく漫画やアニメの性描写規制は、私は人間の社会であるからこそ必要だと思う。むしろ、あの業界の自由な性描写のうねりの中で、描き手の中にも「誰か止めて!」と思う人もいたのではないか。

大体、「国に守られなければならない文化」なんてロクなものではない。だから知事が理不尽な悪者を演じて論争を発展させることで、大勢の人を刺激して文化的な成長を促している。私にはそんな風にも見えた。(むしろ石原都知事はそれを狙って自演したのではないかとも。)
守ってもらう必要もないほどに、自立し、自由な強い生命力を持った文化をこそ育まない作家だの芸術家だの文化人だのは、既得権益のウンコではないか。既得権益のウンコは氏ねばいい。ウンコを見せびらかしてオホホ笑いをするのが高尚な文化だなんて、見苦しいことこの上ない。

そして何よりも、青少年健全育成条例賛成派・反対派のこの確執こそが、文化をビジネスに繋げて育む中で、とても重要なエッセンスではないのか。それぞれの思惑が攻防しあう中で、常識の流行り廃りがあるのだろうと思う。本来正しいものなど無い。間違ったものも無い。
本当に文化だ、自由だ、それが大事だと言うならば、賛成派・反対派も、手を抜いて屈したりしてはいけない。このテの論争がガチでできなくなった時こそが、本当の終末だと私は思う。

だから「東京国際アニメフェア」に対抗して「アニメ コンテンツ エキスポ」が生まれたのは、画期的なことではないか。その画期的な状況を双方が使いこなせるか、その裁量が国力や民度ではないか。むしろこの論争があることを、国内外に大々的にアピールして、その攻防の様を大いに呼び物に使いこなすのがいい。

とはいえ、双方主催する側がどこまで、何を考えているのかは、私にはわからないが。
わからない上に、青少年健全育成条例賛成派の擁護をすると、宗教団体の人だと誤解されかねないのが、困ったところ。唇寒しである。
 

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