2011年1月9日日曜日

そもそも私は伊藤忠兵衛記念館を目ざして行った

 
前回

旧豊郷小学校を訪れるのは、いいカメラを持った男の人(ヲタ)ばかりだった。
建物は地域の人のコミュニティスペースとしても利用されているようだった。

世代の超え、多くの人が共有した、階段の手すりのウサギとカメ。
ヴォーリズのこのウサギとカメのデッサンを見たことがある。

ヴォーリズはアメリカからキリスト教の伝道を兼ねた英語教師として日本に降りたった人で、元々建築士ではなかった。
若干脱線するが、またしても撤収した私の過去のブログから、ヴォーリズの『吾家の設備』を読んだ時の記事を引用してみる。

初版は大正十三年、ヴォーリズさんがお書きになった。
設計士として、当時の西洋住宅の設備についてアドバイスしたものである。

内容を要するに、「住む人の使いやすい設備を、住む人自身がよく考えて選ぶのがよろしい」という、今となってはごくごく当たり前のアドバイスが書かれてある。
驚くべきは、当時すでに“室内装飾家(インテリアデコレーター)”━━今で言うところの、インテリアコーディネーターですか。━━という職業の人がいた、ということ。
そういった“室内装飾家”の言うことを鵜呑みにして、「自分の住む家を、他人の考えで作ったら、結局自分が住みにくいよ」ということを、ヴォーリズさんは事細かに伝えようとしたようだ。
…最先端の西洋建築を目の当たりにした、当時の日本人の無邪気な姿が、ありありと目に浮かぶ。

中でも画期的なのは、項目の中に「女中部屋及び他の雇人部屋」というものがあることか。

…然るにさういふ者の部屋を見ますと、悲しいことには大抵どこでも残りの場所に入れて、つまり雇人を片付ける場所を造るといふやうな有様です。…(中略)さういふ人々の為めにも、やはり気持のよい安楽な部屋が必要です。…云々。

そしてあとがきにも、雇人の部屋に関する念押しがある。

… 吾家の設備の中で、吾々の性格の如何を最もよく表はすものは(中略)雇人を置く部屋でせう。雇人の部屋が、人間を置くに相応しいならばよろしいけれど、設備の悪い豚小屋のやうな所でありますならば、吾々が假令口先で大きく人道と叫びましても、その場ですつかり裏切られてしまうのであります。…

今見れば「え゛!?」と思うような項目なのだが、…1世紀近く昔はこうだったのだなぁ、としみじみ。
これを思うと、現代を生きる私は、「当然」の中で「傲慢」になっていはしまいか、などと己を振り返ってみたり。(『吾家の設備』Monday, April 24, 2006)※


階段を上がって音楽室に行くと、軽音部がホントにバンドの練習をしている。
元気でハツラツとした地元の女子高生を生で見ることができるせいか、訪れて思い思いに感慨深げに時を過ごす、いいカメラを持った男の人(ヲタ)たちの眼差しが、やさしく生暖かく、そしてそれは決して悪いものではないような感じを受けた。

それにしても、伊藤忠兵衛記念館の管理をしているジさまは、自分の学び舎が萌えアニメになって嬉しそうだった。世々を経て多くの人と、あのウサギとカメの手すりの校舎への愛着を共有できたという純粋な喜びが、アニメとかどうでもいい他人の私にも伝わってきた。

辻々の横断歩道の「とびだしくん」も、この町では女子高生姿。

そもそも私は『けいおん!』ではなく、伊藤忠兵衛記念館を目ざして行ったのである。

かつて、初代伊藤忠兵衛もこの町の町長だったそうだが、時代を経て、あの校舎を壊そうとしたかつての町長を、何と思ってあの世から見ていたであろう。

思えば旧校舎取り壊しの騒乱を経て、この町で起こったことは、共産趣味者である私をそそる革命的な町おこしであったことが、しみじみと伝わってきて、何気に目頭が熱くなるのだった。

私は下らない無駄な買い物は控えるようにしているが、ここのお土産は商機を逃さないカンジでアイデアが良かったので、うっかり買ってしまった。クッキーは意外と甘さ控えめだった。

(ちなみに、あの旧校舎取り壊しのヒール(悪役)な町長は、現在は町長ではないものの活躍中の様子w)

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