2011年3月11日金曜日

食いつなぐアテを思いめぐらす

 
気軽に「好さげな服」を身にまとえる背後の不条理を眺めていると、縫製工の賃金は、衣服をまとう大多数の身勝手な人類の意識が向上しない限り、上がらないものなのかと、途方もない現実に呆然としてしまう。

そんなことを日々言い続けていると、学校の就職相談で、私は先生に「企業に就職するよりNPOに行け」と言われた。しかし活動家というのは、割とマメな人づきあいができる人でないと難しいと思う。
何より、社会に出て「人の役に立ちたい」「誰かにありがとうと言ってもらいたい」という暑苦しい動機は、私には無い。

「世のため人のために役に立ちたい」という思いよりも、「なぜ?」という思いが、衝動として、私をつき動かしている。それで動いた結果、誰かの役に立つか立たないかは行為の受け手次第。そもそも自分が蒔いた種は、予想もしなかったような花や実をつけるものだと私は思う。

誰かに感謝されることで、自分で自分の存在や価値が認められるということも、私には無い。

世の中は、たまたま「感謝」と名付けられたもので満ちている()というのが私の考え方。そう思えばわざわざ人に感謝してもらおうとは思わない。誰かに感謝の言葉をもらうのは偶々で、特にそれをもらうことが目的ではない。
そうでないなら、大方期待を裏切られて、「あれをしてやったのに、ありがとうも言ってもらえない」などと言うようになる。それは性に合わない。

「好きなことをやりたい」という気持ちにつけ込むのは、NPOや活動家も、低賃金のブラック企業も似たようなものだろう。どちらも微々たる給料で、社会保険にも入れないなど。「この仕事が好きで…」などと言って面接を受けるならば、存分につけ入られる覚悟が要る。

NPOではなくとも、世の中のためになり、かつ雇用を生み出す会社はある。先頃見学させていただいた、縫製工場()などはそうだった。
社長自らが保護司を引き受けて、冷遇されがちな社会的に受け皿のない人たちの仕事も作っていた。社長は福祉と行政の情報にも精通しており、しかもやっていることは「商売」に徹していた。
それはそれで問題があるという向きも、世の中いるには違いないが、一切福祉に関わることなく「臭いものにフタ」してしまう人らでないことは確か。

あの社長ならきっと、社会貢献をNPOでやるというのは、社会貢献に酔ってポーズで納得してしまう怖さがあると言ったかもしれない。何より、あくまで自分がやりたいのは仕事だ商売だ、と。
しかし、昨今の風潮や、今後も縫製の仕事は海外に出て行ってしまうことを考えると、あの社長も事業目的を「次世代への技術の継承」などとして、会社をNPOにしてしまった方が、後継ぎのことで頭を抱える必要もなく、トレンドに合っているのかも、とはふと思った。

結局、私が就業する先はきっとNPOではないだろう。
企画と情報発信をNPOが行うなら、その情報には受け手が要るはずで、私は受け手となる大衆の中の一人に徹する方が、向いているように思う。
 

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