2011年3月30日水曜日

タシケント・ヘタレ旅⑤~新郎新婦も婚礼衣装で訪れる抑圧犠牲者博物館


ふと思い出した。

「フクシマの“カミカゼ”たちは、たくさん金を貰ってやっているのか?」とタシケントで訊かれて、「ノーノーノー!リルビ!リルビ!」と応えたが、あの時ほど自分の貧しい語学力を悔やんだことはなかった。
耳を傾けてくれるウズベク人に伝えたいことは山ほどあった。…


さて、日本でもアウシュビッツとヒロシマは有名だが、ソ連の大粛清と民族強制移住()は、あまり馴染みが無いように思う。
その理由を推測するに、少し前に読んだ『シベリア抑留―未完の悲劇』()にあった一文のようなことが関係しているのだろうかと。

被抑留者を「解放」したソ連に感謝しろ、というのは「誘拐犯が人質を帰してくれたから感謝しろ」というに等しい。1954年当時、抑留のことに言及せずに、社会主義の優位性をたたえたり、ソ連と「協調」や「交流」の可能性を説く識者も多かった。…

ソ連は非人道的な抑留の実態を隠しており、新聞などマスコミもそれを正確に伝えることはできなかった。しかし少なくとも、多くの日本人が長期間抑留されていることは日本でも知られていた。それでもなお、アカデミズム識者の批判はソ連に向かわなかった。…

いわゆる「アカの仕業」ではなかろうかと。実際どうなのかわからないので、知る人があれば教えてほしい。

アウシュビッツは『アンネの日記』があったから、広く知られることになった。
ウズベキスタンでも、そういった親しみやすい何かがあれば、かつてあったジェノサイドを多くの日本人に周知することができると思う。

個人的に私は、ウズベキスタンの詩人たちの詩が、日本語に翻訳されて一般に手に取りやすいようになることを望む。
ここに展示されていたのは、皆詩人ばかりだそうだ。


ウズベキスタンの綿花畑に撒かれる農薬の写真。これは1980年代、ペレストロイカ以前の写真。
この綿花栽培もウズベキスタン国内では利権が絡んでいるのか、風評被害で逮捕されたり殺された人の写真も展示されていた。
旧ソビエトの政策で、元々綿花栽培に適していない土地を、無理矢理綿花畑にしてしまったことが発端で、アラル海という大きな湖は干上がり、深刻な事態だという。
貧困と児童労働への依存など、未だこれといった解決の糸口を聞かない。
この問題の解決のためには、気の遠くなるような努力の積み重ねが必要なのだろうと推測する。

ふと、暮らしの中で綿製品を手にとって、原料となる綿がどこからどうしてきたものか、日本でも多くの人が思いを馳せるようになれば、と私は思う。
 

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