2011年3月30日水曜日

タシケント・ヘタレ旅③~祖国に帰れなかったスルタンと日本人抑留者の心情

 
続いて、日本人抑留者が強制労働で建設にたずさわったナヴォイ・バレエ・オペラ劇場に。
設計は旧ソビエトの人だと思われる。この外観の細やかな装飾などは、恐らく強制労働によるものだろう。

立派な建物だけれど、私の心境は複雑である。強制労働でなくても、立派なものは造れたはずだと思うから。そうして二度と祖国の土を踏むことのなかった人々がいるのだと思うと、手放しでブラボーなどとはしゃぐ気にはなれない。
しかし、タシケントの人々が、この建物を大事に使ってくれているのが何よりで、この素晴らしい建物が、強制労働を正当化する道具であってはいけないと、私は感じた。

ところで、ガイドのハッサンの説明を聞いていると、このタシケントのウズベク人たちが、ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場を大事に使うのにも、それなりに深い理由があるようで。


タシケントのど真ん中の公園に、ティムール朝を建設したアムール・ティムール将軍の像がある。

およそ500年前、ティムール朝の時代に遡ると、ティムールの息子にバーブルという人がいた。
このバーブルは、ムガール帝国(インド)の初代スルタンで、「インド」と言われれば真っ先に思い浮かぶあの象徴的な建物、タージ・マハルの建設の礎を創った人なのだが、彼は故郷の中央アジアを離れて二度と帰ることができなかった。(Wikipediaを見ると、「食卓にマスクメロンが出ると、生まれ故郷の中央アジア恋しさのため涙を流した」とある。)
ウズベキスタンでは、そのバーブルの心情と、「ダモイ(帰国)」が叶わなかった日本人抑留者の心情を重ね合わせて理解してくれているようである。

で、ウズベク人にしてみれば、タージ・マハルも元はといえば「俺らのもの」なわけである。私はタージ・マハルに行ったことはないが、あそこはキレイに大切にされているとは言い難いのか。どうやら大気汚染など環境問題のために著しく損傷していると聞く。

「せっかく凄く立派なタージ・マハルを、インド人たちは悪く使っている!」

もっと大事にしてくれよ、そうでないならオレらに返せと、ハッサンはご立腹であった。
 






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